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めくるめくSTAGEへ

なんとなく それとなく

計画的犯行~そして私はジャニヲタになった~

“担当”とは?について語ったので次は個人にスポットをあてて書いてみたいと思うよ。

まずは自担ことKAT-TUN上田竜也について。

前の記事で書いた通り自分でも、はい落ちたーーー!!転げ落ちるみたいに加速して~!な出来事は覚えてなくてほんと当時の自分にインタビューしにいきたいレベル。

じゃあ私がどうやってKAT-TUNと出会ったのか。

ミーハージャニーズ好きの母の影響で8JやらUSOやらのバラエティ、ジャニーズが出てるドラマは普通に見てました。
しかしここでは特に深入りせずにスルー。
(だが後々小学生の頃のプロフィール帳にかっこいいもの“ジャニーズ”ときったねぇ字で書いてあるのを発見する)

日常的にジャニーズを摂取するも特に発病はせずに時は流れていく。

ごくせんも野ブタもただのドラマとして見て過ごした。
でも昔から山下が好きだった私は彰派として青春アミーゴしてた。
亀梨とか骨かよwwwwwwとか思ってた。すまん。

そんな親子なので年越しはカウコンを見て過ごすのが定番だった。
多分2005-2006のカウコン。ここで「なんか可愛い」と赤西に目をつける。
そう、扉を叩いたのは奴だった。

2006年3月22日KAT-TUNがデビュー。

母が何処からともなくReal Face Filmを取り出してきた。いつの間に買ったんだ…。

「これ見よう!!」

録画したアニメを見てた私、邪魔されてブチ切れ。
でも根負けして見始める。
ぶっちゃけ赤西と亀梨と田中しか分からんかった。
自担は完全にその他3人の中の1人でした。

暫く赤西と上田を推してた私。
でも、なーんでか分からないけど飛び出してきたんですよね。上田竜也が。
知らぬ間に雷に打たれてた。
いや、打たれたショックで記憶をなくしたのか?

幼い頃から知らず知らずに蓄積していた“ジャニーズ”がこんな所で爆発した。
爆破のスイッチを押したのは紛れもなく母だったのだ。
何てことだ!!!!!!!



母さん…私は今日も元気にジャニヲタをしています。